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戦国時代とギリシャ(2) 中華文明の包容力示す荀子#世界歴史##中国歴史##文明論##教養#

by eiga



戦国時代最後の50年、志士・謀臣たちは2大流派に分かれていた。函谷関(河南省北西部の関所)の内側の秦国では法家と縦横家が活躍していた。函谷関の外側の六国では儒家、道家、兵家、陰陽家、名家が活躍していた。斉国の稷下学宮は六国の知識人が集まった場所で、秦国と対峙したもう一つの精神世界だった。この精神世界の領袖こそ、戦国時代最後の儒家の大家で、稷下学宮の祭酒(学長職)を3度務めた荀子(紀元前313~同238年)だ。
 純粋なことを行うのは易しいが、中道を行うのは難しい。両極端のものに見捨てられ、挟み撃ちされることに常時備えておかなければならない。それでも歴史は最終的には中道に沿って前進する。漢の武帝と宣帝は荀子の「礼法合一」「儒法合治」の思想を受け入れた。続けて歴代王朝も彼の思想に基づいて進んだ。儒法はここで本当に合流した。法家は中央集権の郡県制と末端官僚組織をつくり出し、儒家は士大夫精神と家国天下の集団主義倫理をつくり出し、魏晋唐宋でまた道家と釈家(仏教)を融合し、儒釈道合一の精神世界をつくり出した。
 特に安定したこのような大一統の国家構造は東アジア全体に広まり、中華文明が強くても覇を唱えず、弱くても分裂せず、延々と続いてきた秘密になった。これをまだ「秘密」と呼ぶのは、大多数の西洋の研究者が今なお理解していないからだ。